差別とサイボーグ戦士たち

モヤモヤしていることがある。

昨今の社会問題について、サイボーグ戦士たちとも無縁ではない話がある。BLM運動、つまり黒人差別に関する問題だ。
はっきりと差別を受けていたとわかるのは、ジョーとピュンマ、ジェロニモの三人だ。混血児であることを理由にいじめられたジョー、奴隷として売られそうになったピュンマ、故郷を奪われたジェロニモ。別の解釈もあるかもしれないけど、わたしはこれらを差別問題と考えている。
彼らを取り巻く社会が、彼らを「支配していい存在」「好きに扱っていい存在」と認識していた証だ。

ほかの戦士たちもなんらかの事情で社会的に弱い立場にあった。サイボーグ戦士たちだけじゃない、敵の中にもそういうキャラクターはたくさんいた。当時の社会が抱えていた問題を、石ノ森先生は作品に反映していたのだと思う。

「サイボーグ009」とはどんな作品か。

単なる「斬新な発想のSF漫画」なのだろうか? ただの「かっこいいヒーロー物語」なのだろうか?
サイボーグという言葉がこれほど広まったのはサイボーグ009のおかげと聞いている。革新的なものだったのは間違いない。だけどそれだけで、こんなにも長く愛される作品になっただろうか?

NOと言いたい。

彼らは無敵のヒーロではない。それぞれ弱点を抱えている。機能的にも、人間的にもだ。
その弱点は、読者に共感をもたらす。社会の抱える問題をあらわにし、読者に投げかける。平和を訴える。この作品の、なによりの魅力だと思う。
もちろん、「斬新な発想のSF漫画」「かっこいいヒーロー物語」という要素も十分に大きい。でも、それだけでこの作品を語りきるのは無理だ。無理なのだ。

最初に戻る。
モヤモヤしているのは、「サイボーグ009」という作品が訴えるものが理解されていないこと。
ストレートにいうと、岡崎つぐお先生のツイートがあまりにもひどい。

作品自体の内容でなくて恐縮なのだけど。しかしサイボーグ009を読んで、愛して、それであのツイートか、と。世界中に今だ隠れもしない、むしろかつてより輪郭が明瞭になってきた黒人差別の実態について知ろうともせず、アレか。

BLM運動はただの暴動騒ぎじゃない。一部で暴徒と化した人たちもたしかにいるが、BLM運動の人たちはそれらを批判している。にも関わらず、日本では「自浄されていない」「放置している」などと、まるで見てきたかのように、十把一絡げにBLMを中傷する人が少なくない。
それに岡崎先生も乗っかっている。ものすごく悲しいし、怒りが湧いてくる。

BLM運動だけではない。すこし前には漫画の性表現についての問題に、まったくとんちんかんなご意見を述べていらした。
その実、わたしは岡崎先生のツイートをミュートしている。にもかかわらずなぜそのツイートを見たのかというと、そのツイートが小規模ながら炎上し、わたしの別のアカウントまで(批判を伴って)流れてきたからだ。
炎上したのはとんちんかんだったからというほかないのだけど、それを先生は「読解力のない人たち」と一蹴している。もともとその問題について追っていた側からすると、話の流れを読めずにすでに通り過ぎた話を、しかも反対側の意見を読み違えた上で持ち出してきたのは岡崎先生のほうなのだが。

なんか、情けなかった。「コミック表現の自由を守る会」を主導したのは石ノ森先生だったんだけどな。

ミュートしていたのはネタバレを避けたかったからなのだけど、わたしも性格が悪いので、以来先生のツイートは注視している。
なにせ坊主憎けりゃ袈裟まで憎いタイプの人間である。これからも読み続けるかどうか悩み始めていた。そこにきて、これだ。

日本人は男尊女卑だ。これについて、いや女尊男卑だ、女性は優遇されているなどとのたまう人も少なくないが、現内閣を見れば一目瞭然だろう。
つまり日本で暮らす限り、日本人男性はずっとマジョリティの側にいられる。差別を気にしないでいられる。その立場で、今まで差別問題について考えたことがありましたか、と訊きたい。
いや、あると思うじゃん。だってサイボーグ009が好きなんでしょう? でも、考えたことがあって、ちゃんと調べたことがあったら、あんなツイートにならないよ。いちおう言っておくと、差別問題って一朝一夕で理解できるものじゃない、考え続けざるを得ない問題だから、考えたことのない人はすぐばれるよ。
黒人差別は今も根深く、彼らの生活に影を落としている。彼らの努力不足では決してない。構造の問題なんだよ。

悲しすぎる。
サイボーグ009の、かっこいい部分だけしか見ないで、作品を受け継いだ気にならないでくれ。

すこし前にRTしたけどこれを見てほしい。